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こんにちは、パソコンドクタークルゼの橋本です。 いつもこの場を借りて、じっくりと 楽曲についておはなしさせてもらえることに感謝しています。 さてそれでは、恒例の長話に付き合っていただきましょう。 deviation 2019 「Un jour c'est comme la vie, La vie est comme un jour」 一日は人生のように、人生は一日のように そんな意味のつもりで名付けました。 曲が完成したあとから、付けた名です。 今回の作品は、パリを舞台に仕上げました。 一日を一生のように生きる という言葉に着想を得てのタイトルなわけですが 日常生活の中ではなかなか、そういう気分でいることは 難しいものかと思います。 また、パリを舞台にとは言っても、パリを表現したわけではなく パリという町にいる時に感じたこと、 パリという町が感じさせてくれたこと、が ベースになっています。 実際にパリに赴き、いつもと違う街を歩き、違うものを食べ 違う空気を吸いながらぼんやりと 日常生活を振り返る その時の気持ちを 「いかに表現するか」というアートの感覚ではなく 「いかに伝えるか」という点に重きを置いて つまりは、聴く人にどのように聴こえるか こう感じて欲しい、こういう気分になって欲しい そうなるように趣向を凝らした、 エンターテイメントとして成り立つように 仕上げた、作品です。 showの中でおはなしさせて頂いた、そのミソですが この作品の中には ラヴェル、ドビュッシー、バッハ ショパン、パッヘルベル、YOSHIKI あと、tamura氏 が隠れていますよ。 効果的に表現するために、彼らの手法や知恵を 手本にし、拝借しています。 今までの作品ではそういった取り組みは一切なく 私がどのように感じ、どのように考えているかを いかにして表現するか、というものでした。 解説していきましょう。 冒頭では、薄暗い夜明け前をイメージしています。 家の前を掃き掃除する老父、ゴミをつつくカラス 陽光を待つ冷えた道路、ひと気のない公園の街灯 徐々に徐々に、射し始める日の光とともに あっという間に朝焼けが去り、 せわしなく生き生きと、あるいは淡々と 街の呼吸が聞こえてきます。 夕闇がせまり、しがらみを離れる支度を済ませた 人の往来が孤独感をあおり、この世に自分の味方は 一人もいないことを実感します。 寂しさを紛らわそうと、自分を相手に今日の一日を告白し、 出会った人々への感謝と、折ってはいけない誓いを 思い出し、明日こそはと奮い立ちます。 逡巡の果てに豊かな心を取り戻し 今日という一日が終わることと 新しい生命が連綿と続くことを、 ひとつのことだと感じ、希望に満ちて目を閉じます。 こういうイメージの作品となっています。 いかがでしたでしょうか。 そのシーンごとに、前述の方々の手法や作風が 隠されています。お気づきになられたでしょうか。 いかにして伝えるか、というおはなしをしましたが あらためて是非、今回の作品については ご自身の一日や半生に当てはめながら 聴いていただけたらな、と思います。 敢えて私個人のことに当てはめれば なかなかに山も谷も険しく、 すぐにへこたれて眠ることもしばしば。 命綱もなく崖の”へり”を歩くようなこともあれば 空腹に耐え兼ねて、安易に毒草を食べて しばらく寝込むようなこともありました。 看板を鵜呑みにしてえらい目に遭ったり 海も山も風も空も敵に見えたり 道を間違えたり迷ったり、戻ったり 決して順風満帆でも、褒められるものでもない そういう半生でありましたが 大変な強運に恵まれ、重要なターニングポイントでは 助けとなる存在がいつもありました。 今にして思えば その全てが、今の自分に辿り着く 唯一のルートだったんだな、と思うわけです。 有り様より、殊更に精神性において より色濃く、そう思うのです。 行って、戻ることも、止まることも 全て足し算で、引き算ではないと、思っています。 一日は人生のように〇〇、人生は一日のように〇〇 人によって〇に入る言葉は違うと思います。 短くても長くてもいいので 繰り返し聴きながら、ご自身の半生に思い馳せながら この空欄を埋めていただけたら この曲は完成するのかな、と思います。 橋本”カーズ”一将